2019年09月08日

南京大虐殺記念館の新館

かつて、日本軍が集団虐殺を行なった遺跡であり受難同胞の墓地の南京大虐殺記念館。中国fでは、「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」と呼ばれており、「中国侵攻日本軍による南京大虐殺被害者同胞記念館」との意味か。
新たに、第三期拡張工事を経て、2015年12月07日に新館がオープンした。
従来の「歴史」「平和」という2大テーマをベースに、「勝利」という新たなテーマを追加された。「正義必勝、平和必勝、人民必勝」の3つのテーマで、抗日戦争と第二次世界大戦への勝利を表している。

南京大虐殺記念館付近の衛星地図で、青い線で囲まれた地区は、従来の南京大虐殺記念館。新館は、北側の「茶亭东街」の道路を挟んで橙色の線で囲まれた地区。
衛生地図.jpg

南京大虐殺記念館のHPにおいても、従来の記念館と新館の展覧案内が表示されている。
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南京大虐殺記念館は、かつて2014年4月末に訪れたが、その時はまだ新館は無かったので、今回(2018年10月)新館を訪れた。
地下鉄2号線の云锦路(Yúnjǐn lù)駅で下車し、侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆(Qīn huá rìjūn nánjīng dà túshā yùnàn tóngbāo jìniànguǎn)を左に見ながら、茶亭东街(Chátíng dōng jiē)を西へ600m程歩いて、抗战胜利纪念馆(Kàngzhàn shènglì jìniànguǎn)(三个必胜Sān gè bì shèng)着いた。入ろうとすると、入場不可で、出口であった。
侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆の入り口から入るとの説明。来た道を戻り、侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆の入り口に着く。侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆の見学順序の館内の展示は、かつて見学したので、スキップして通るだけで、出口を目指して足早に歩く。
やっと、三个必胜に着いた。見学順序の最後に位置しているようだ。
案内に沿って、坂道を登る。
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やっと、新館の入り口に着いた。地面からは3階の高さに感じた。
新館の入口.jpg

入り口の上部の看板とVictory勝利の両側の「V」には、中国語・英語・韓国語にて、「正義必勝、平和必勝、人民必勝」の文字が並んでいる。
上部看板.jpg

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特に、新館の展覧案内では、「“三个必胜” −中国战区反法西斯战争胜利暨审判日本战犯史实展」と表示されており、「三つの必勝−中国戦域の反ファシズム戦争及び日本戦犯裁判史実展」のような意味。
三つの必勝については、「正義必勝、平和必勝、人民必勝」がテーマとなっている。

展示館では、日本が戦争を起こし、敗戦になるまでが展示されていたが、特別、興味のある展示は見当たらなかった。
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最後は、毛沢東、ケ小平、江沢民、胡錦濤、習近平の5人のの写真が展示され、中国は国際的にも、地位を固めたとのこと。
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いかにも、中国的な展示であった・

posted by kazuohage at 09:32| Comment(0) | 日記

2019年09月03日

南京利済巷慰安所旧跡陳列館

2015年12月1日に開館した「南京利済巷慰安所旧跡陳列館」へ行ってみた。この陳列館は、侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆(南京大虐殺記念館)の分館として位置づけされている。
南京大虐殺記念館のHPにても、「利济巷馆」のサイトが表示されている。
記念館のHP.jpg

なお、陳列館のHPでは参観の予約が必要と表示されていたが、予約せずに行った。
南京地下鉄にて大行宫Dà xínggōngへ行く途中、若者に席を譲ってもらった。中国では3回目。老人である自分を自覚する。
受付にて、何人(なにじん)と聞かれ、日本人と答えると、QRコードを提示されたが、私の携帯は、退職を機に、通話のみのガラ携に変えたのでアクセス不可。そうしたら、受付の男性が日本語の入館カードをくれた。そこで、再度、何人(なにじん)と聞かれ、日本人と答えた。こんな老人が1人で参観するのは、不思議であったのでは?
もらった参観入場券は、日本語バージョン。
参観入場券.jpg

裏面には、慰安婦であったろう女性の顔写真。表面には、南京利済巷慰安所旧跡陳列館の紹介。
「南京利済巷慰安所旧跡陳列館は、中華民国時代の八棟の歴史建築で構成され、国民党中将の楊普慶氏によって1935年から1937年にかけて相次いで築かれる二階建てのレンガと木材混合構造物であり、「普慶新村」と名付けられた。1937年末、日本軍が南京を占領後、利済巷2号の建物を「東雲慰安所」に、18号を「故郷楼慰安所」に改造した。利済巷2号の二階にある第19号室は朝鮮籍「慰安婦」被害者、朴永心氏が三年間日本軍の性奴隷に強いられたところであり、2003年11月2日、朴氏が南京に来られた際、この場所を確認した。ここもまた唯一の外国籍「慰安婦」被害者に現場で確認された慰安所である。
2014年11月、南京市人民政府が利済巷慰安所旧跡の修復、展示作業を行い、2015年12月から正式に開館した。」と、記載されていた。

陳列館は、2階建ての6棟から構成されている。
陳列館1.jpg

陳列館2.jpg

利済巷2号のL字形のA棟は、「東雲慰安所」と呼ばれた建物。1階に14部屋、2階に16部屋があり、慰安婦は、主に朝鮮人で、下士官・兵卒向けの慰安所であった。
19番目の部屋は、朝鮮人慰安婦の朴永心さんが拘束されていた場所。
C3、C4棟付近は、利済巷18号の「故郷慰安所」があった場所。2階にベランダもあった洋館。慰安婦は、日本人女性で、将校・上級官吏用向けの慰安所であった。
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この地区では、主に慰安婦は朝鮮人・日本人であるが、上海師範大学の蘇教授は、日本軍は敵国の中国人慰安婦は安全問題などを心配して主に郊外周辺に配置したと述べている。
南京の慰安所 南京市には40以上の慰安所があったと言われており、市の中心部にあるのがアジア最大の日本軍慰安といわれる利済巷慰安所の跡地。一帯には三つの慰安所があり、50人以上の「慰安婦」がいたとのこと。
また、慰安婦の民族は、南京では日本人が多く、次に中国人が多い。田舎になると、中国人慰安婦が多くなる傾向である。

L字形の「東雲慰安所」の二階の19号室は、朝鮮籍「慰安婦」被害者の朴永心氏が三年間日本軍の性奴隷に強いられたところである。
利済巷慰安所は、2005年までは低所得者の住宅として使われ、その後、2008年の旧正月の花火によって、L字形の旧「東雲慰安所」の2階部分が火災によって損壊した。
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その後、ごみ集積場にされるなどの運命をたどったが、2014年に市レベルの「文物保護単位」に認定された。
かつて、2014年5月に訪れた時には、歩行者への安全のためか、通り沿いにコンクリートの壁で囲ってあった。
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今回訪問の下記外観写真と比べると、整備されたのがよく分かる。
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当時は、「太平南路管理保護建築(2012年11月)」として、保存されていた。
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当時のブログは、南京の慰安所跡

入場した敷地の事務所の前には、2014年に「利済巷慰安所旧跡」の南京市文物保護単位になった石碑。
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石碑の反対側のA棟の壁一面に、慰安婦であったろう女性の顔写真。
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中央のC2棟の壁に、「南京利済巷慰安所旧跡陳列館」と書かれており、手前に妊娠している女性と寄り添い泣いている2人の女性の像。
利済巷慰安婦資料館の周辺は高層ビルが林立する中心部。
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背景の壁面には「性奴隷の涙」を象徴したという水滴が表示されていた。
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妊娠している女性は、L字形のA棟の「東雲慰安所」の19号室で、3年間、朝鮮籍「慰安婦」被害者である朴永心氏がモデルとのこと。
中華人民共和国の最西南部でベトナム・ラオス・ミャンマーと接する雲南省(南京から約2,500km)で、1944年に連合軍に保護された時の朴氏の写真。
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陳列館の中は、当時の再現のためか黒い木製の床で構成されていた。
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階段も黒い木製で、私は、手すりの無い1mほどの踏み幅の狭い階段で、滑った。左手首に擦り傷、右の足の親指が打撲で痛かった。
中国での慰安所、さらにはアジア圏での慰安所にも言及していた。
中国本土の慰安所.jpg

東南アジアの慰安所.jpg

私としては、「东云慰安所」、「故乡楼慰安所」の詳細説明を期待していたが、中国本土・台湾・・フィリピン・インドネシヤについても説明があり、ちょっとぼやけた感じ。もっと、南京の慰安所に特化してほしかった。

韩国朝鲜日報の18才から30才までの慰安婦募集の記事。
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木製の婦人検診台。
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性病検査器具。
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日本軍が慰安婦らに消毒剤として補給した「過マンガン酸カリウム」。性病予防などのために殺菌剤として使った薬品。
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日本軍が配布したコンドーム「突撃一番」と性病予防薬「星秘膏」。
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少し調べると、「突撃一番」は、旧大日本帝国陸軍で使用されていた避妊具の名称。海軍では「鉄兜」「ゴムかぶと」「サック」と呼ばれていた。
戦時中の軍隊においても、コンドームは重宝されていた。軍は兵士の健康管理には気を遣っていたが、とりわけ性病はその伝染力の強さから、脚気や肺結核と同様に特別な配慮がなされていた。性欲の盛んな若年の兵士に対しては、紙袋に星印と「突撃一番」と印刷されていたコンドームを衛生兵が必ず配布し、慰安婦との性交の際には必ず性病予防薬「星秘膏」と併用することとしていた。
そもそも、当時のコンドームは、現在のように潤滑液に浸されたウエットなものではなく、ゴワゴワした乾燥タイプ。ゴムの質も悪く、厚くて快感が得られず途中で萎えることもあった。そうだ。

紙製の袋で、袋の折り代の部分に陸軍の星のマーク、裏面にはコンドーム国内シェアナンバーワンのオカモト鰍フ前身である国際護謨の名前。
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かなりゴワゴワしたコンドーム。
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性病予防薬「星秘膏」。 外箱には、陸軍の星のマークがあり、「陸軍需品廠(しょう)、陸軍衛生材料本廠」と記載されている。
陸軍需品廠は、陸軍の需品の購買・製造・貯蔵・補給を行う部署。陸軍衛生材料本廠は、陸軍で使用する衛生材料、獣医材料及び蹄鉄の購買・製造・貯蔵・支給を行う部署。
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成分はヒノゾール、抗真菌薬(こうしんきんやく)。要するにカビ類だからカンジタ等によるイースト感染尿道炎には効果がある。

外箱の裏側には、使用方法が記載されている。
1.済んだら速やかに排尿し、水でよく洗う。
2.チューブの口を針・マッチ軸木等で、突き穴をあける。
3.薬の1/3量を尿道に注入し、軽く抑えて揉む。
4.残り2/3は、局部によく塗る。
星秘膏02.jpg

なんとも激しい使用方法。私には無理です。

南京において判明している慰安所は、約10ヶ所であるが、そのほとんどは、取り壊されている。唯一現存した利済巷慰安所は、アジア最大の日本軍慰安所と言われる。
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「政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成」についての和田春樹氏によると、南京における詳細資料が無い。陸軍の第15師団軍医部の衛生業務要報の1943年(昭和18年)2月の分に、南京の慰安婦「平均一日現在人員」が、437人となっており、検診ののべ人員を民族的に分けた数字も一緒にあり、南京の慰安婦は日本人、中国人がほぼ半々であるのに、小さな町では、中国人と朝鮮人が半々になり、さらに、小さな町になると、ほぼ全員が中国人となる。
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また、「慰安婦 Comfort Women」は、日本軍から見た呼称であり、「性奴隷 Sex Slave」に改めようとの動きもある。
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慰安婦について、いろいろ考えさせられた見学でした。

posted by kazuohage at 08:05| Comment(1) | 日記