2016年03月05日

中国丹東の北の風景

2015年の5月連休に、中国丹東の北を鴨緑江沿いに進んで、その風景を楽しんだ。

丹東市街から約20〜45km北へタクシーにて進み、太平湾ダム、河口断橋、清水鉄路橋、水豊ダムを観光。
中国では、軍関係施設、政府関係施設、鉄道や橋梁、ダム、人民解放軍の経営の病院などは、写真撮影禁止が多く、注意が必要な所。今回は、そのような施設が多い。

地図Rev2.jpg

宿泊した丹東のホテル「假日陽光酒店」を、タクシーにて8:00に出発。まずは、太平湾ダムへ行く。

ホテル.jpg

約2時間弱のドライブ。
本日は2015年5月1日。中国では「五一」の3連休の始まりであり、労働節(メーデー)である。
これを祝ってか、途中でお祭りのように踊る人たちがいた。 「水电」の文字が見える。「水力发电」の略で、水力発電の意味。ダムに近くなった様子。

踊りRev1.jpg

なお、タクシーのダッシュボードに置かれた物が気になったので、運転手さんに聞いたら、運転手さんの朝ご飯の小麦粉を油で揚げた餅とのこと。

しばらく行くと、「平湖風景度假村」に入る。平湖の風景リゾート村といった感じ。そして右側には河が見えてきた。

太平湾景区.jpg

そして、太平湾発電所ダムに到着。タクシーの運転手さんから、これ以上、近づくのはやめた方が良いとのことで、やや遠めにて写真撮影。

太平湾ダム.jpg

よく見ると、「太平湾电站」、「努力超越 追求卓越」の文字が見える。「太平湾発電所」、「努力して超え、卓越を求める」のような意味か?

調べてみると、太平湾ダム発電所は、中朝(中国と北朝鮮)共同の水力発電所で、1987年に竣工。
ダムの長さは、1185mで高さ31m。4台の発電機があり、2台は、中国へ供給するための50Hzの周波数、残りの2台は、北朝鮮へ供給するための60Hzの周波数の発電機だそうだ。 
このダムは、北朝鮮側の住所は、平安北道朔州(サクチュ)郡山里。


次は、さらに北へ8kmほどの河口島の北端の河口断橋に向かう。
朝鮮戦争時に米軍に爆破され、そのまま橋が断たれた断橋は丹東に2つあり、一つは丹東中心にある鴨緑江断橋。もう一つが河口断橋である。この橋は、1941年から1943年にかけて、 日本の朝鮮総督府により鴨緑江に架けられた橋梁。

このあたりは、桃の花が有名なようで、「桃の花島」とか「桃の花節句」などといった表示が見られる。
中国の五一連休に加え、桃の花が満開で、皆さん、車を道路わきに停めて花見。それで、さらに渋滞。

桃の花.jpg

河口島に入る橋にかかると、また渋滞。この辺になると、鴨緑江の川魚の食事ができる民宿風の店が並ぶ。

河口へ.jpg

やっと、河口断橋の駐車場に着いた。約8kmを1時間要した。

入り口の駐車場の看板には、「炸不断的历史记忆」の表示。歴史の記憶は炸裂しても絶えることはない。といった意味か。ここも人が多い。橋の入り口の方には、トーチカが見える。機関銃などで射撃する開口部も見える。当時は、橋を守るために日本時代に造られたものか。

河口広場1.jpg

後ろからしか撮れませんでしたが、朝鮮半島出兵時を再現する毛沢東の長男の毛岸英の銅像もありました。
ネットで前面を調べた写真も併せて、表示。この毛岸英は、朝鮮戦争勃発後の1950年10月23日朝鮮に赴き、アメリカ軍の空爆を受け28歳の若さで亡くなった。彼が生きていたら、また中国の歴史も変わっていたのでは。

河口広場2.jpg

人が多いので、河岸から断橋を撮影。橋が途中で断たれているのが遠くに見える。

河口断橋1.jpg

望遠モードでの橋の撮影。北朝鮮側では、監視のための小屋が橋の上にあるのが、おもしろい。

河口断橋2.jpg

断橋を渡らず、遠くに河口断橋を眺めながら桃の花畑を去る。

河口を去る.jpg


次は、清水(青水)鉄路橋へ向かう。観光地の河口断橋に向かう時とは異なり、渋滞もなくスムーズに鴨緑江沿いの田舎道を行く。
右側に鴨緑江、左側に列車の線路を見ながら進む。

清水鉄路1.jpg

左側の線路は、頻繁に列車が通る感じではないようす。でも、桃の花も咲いて、のどかな雰囲気。
しばらくすると、線路を横切り、今度は右側に線路と鴨緑江を眺める道路となった。

清水鉄路2.jpg

この路線は、河口断橋から水豊ダムの西に位置する青水(清水)鉄路橋へ、鴨緑江沿いに北に向かう線路。

路線04Rev1.jpg

路線の名前は、鳳上線(ほうじょうせん)。上河口駅は貨物駅で、旅客の駅は、約11km手前になる長甸駅までである。
どおりで、列車が通る感じではないようす。
この路線を明らかにするのが、中国・朝鮮の旅客鉄道路線図で、中国側は、遼寧省の瀋陽市と丹東市を結ぶ瀋丹線(しんたんせん)の鳳凰城駅から分岐した鳳上線は長甸駅まで。
北朝鮮は、平壌駅から新義州青年駅までを結ぶ平義線(ピョンイせん)(新義州駅と丹東は、鴨緑江に架かる中朝友誼橋(ちゅうちょうゆうぎきょう)でつながれている。 この平義線の定州(チョンジュ)駅から青水駅を平北線(ピョンブクせん)がつなぐ。 この青水駅(チョンスえき)は、鴨緑江に架かる青水(清水)鉄路橋にて中国の上河口駅につながる。

朝鮮鉄道Rev4.jpg

しばらく北上すると、「太平湾口岸」(口岸とは、税関または港)と表示されたところを横切り、列車が通ったことの無いような線路を横断すると、遠くに橋が見えてきた。

橋1.jpg

今まで列車が通ることの無い鉄橋ですが、日本統治時代に水豊ダムの建設のために、平北鉄道鰍ニして建設された鉄橋。橋の対岸の北朝鮮の青水(チョンス)の様子も生活感がない雰囲気でした。

橋2.jpg

ここも、あまり近づくとヤバそうで、このあたりから戻り、上流の水豊ダムに向かうことにする。
鴨緑江沿いの道に沿って、ぐねぐね曲がりながら約10km走る。地図でみると、入り組んだ状況である。

水豊地図1Rev2.jpg

右側に鴨緑江、畑を眺めながら進む。

水豊1.jpg

すると、民家の集落に入る。道路の右側には畑。前方にダムらしき風景が見える。

水豊2.jpg

さらに進むと、民家の道の右にはY字形の支柱の国境のフェンス(鉄条網)が見える。フェンスの向こうは北朝鮮領。国境と共に生活する民家である。前方にダムらしき風景が見える。

水豊3.jpg

やっと、水豊ダムに到着。荘厳さを感じさせる。

水豊4.jpg

このダムは、朝鮮半島が日本の統治下であった昭和12(1937)年に満州国と朝鮮総理府は重工業化を目指すための、満州国と朝鮮の電力確保の一環として、鴨緑江を堰き止めての水豊ダム建設を決定し工事が開始された。
水豊ダムは、重力式コンクリートダムで高さ106m、長さ900m、堤体積311万u(黒四ダムの約2倍)を誇り、10万5000kW発電機(東芝製5台、シーメンス製1台)6台を備える約60万kW(黒四ダムの約2倍)の発電能力は当時世界最大級であったそうだ。

湛水面積は琵琶湖の約半分、建設費は東京〜下関を結ぶ弾丸列車計画とほぼ同額だった事からしても巨額な投資がなされた。費用は当時朝鮮半島でも一大重化学企業であった朝鮮窒素肥料(朝鮮窒素)(現:チッソ梶jが負担したそうだ。

工事は満州国側(流筏設備、鴨北鉄道)が西松組(現:西松建設梶j、朝鮮側(水豊発電所、平北鉄道)を間組(現:潟nザマ)が担当して始まり、昭和16(1941)年9月に一部発電が開始され、敗戦真近の昭和19(1944)年3月に完成となった。発電された電力は満州国と朝鮮総理府の半分ずつ送電されていた。

終戦間近の1945年8月、ソ連侵攻によって発電機5台(3台という説もあり)が略奪されたが、その後に復旧されたようである。朝鮮戦争勃発時は、アメリカ国連軍の爆撃にあいましたが、ダムの体積が大きかったことや建設技術が優れていたこともあって、堅牢な水豊ダムは破壊できず完成後約70年経った現在なおも北朝鮮と中国が半分ずつを分ける重要なエネルギー源として寄与している。

略奪された発電機は、カザフスタン共和国、エルティシ川上流のダムで確認されている。

このダムの建設にあたっては、いろいろな犠牲があったことを思うと、偉大さに感心してばかりでは、ならない。
一説によると、以下のデータもある。朝鮮人、中国人の犠牲も多い。

水豊5.jpg

しかし、このダムのおかげで、1945年の敗戦後、強力な発電能力は、北朝鮮建国へ一翼をになっていたのも確かであると思う。
北朝鮮にとって、このダムの偉大さは、北朝鮮の国章と朝鮮紙幣の5ウォン図案にも表されている。
まずは、北朝鮮の国章。中央には水豊ダムとその水力発電所を配している。国章は稲の束で囲まれており、稲穂を束ねる赤いリボンには 「조선민주주의인민공화국」 (朝鮮民主主義人民共和国)と書かれているそうだ。

北朝鮮の国章.jpg

5朝鮮ウォン紙幣の裏面には、水豊ダムが描かれている。

5ウォン.jpg

やはり、北朝鮮にとっては、水豊ダムは貴重な存在である。

満州国側の工事を実施した西松建設のHPでの歴史のなかで、水豊ダムが紹介されている。

西松建設.jpg

水車7台全てと5台の発電機を受注した東芝では、東芝未来科学館のHPにて、世界最大の鴨緑江水力発電機((芝浦製作所と電業社原動機製造所(共に当社の前身))を受注。
鴨緑江水力発電株式会社から、当時の世界最大容量機である水豊発電所向けに105MW水車7台(電業社)および100MVA発電機5台(芝浦製作所)が、1938年(昭和13)年3月、当社に発注された。 と記載されていた。

東芝未来科学館.jpg


発電所は北朝鮮側に設置されており、運行管理も北朝鮮にゆだねられている。その北朝鮮側の状況は、

水豊6.jpg

水豊7.jpg

機械的な風景である。
当初の発電機は、3台が周波数50Hzで中国向けの送電、3台が周波数60Hzで北朝鮮向けの送電。残る1台は周波数が50/60Hz可変の発電機でどちらの国にも送電できる。
2011年に管理権が北朝鮮に完全に移った後、発電量全体が北朝鮮に移っているとの説もある。
かつては、このあたりに、金日成主席の肖像画が飾れていたそうであるが、私が訪れた2015年には、無かった。

水豊金日成.jpg

あたりは、送電と関係ありそうな電力碍子、ケーブル、送電線などが見られる。(車の中からの撮影で、見づらいですが)

送電線1.jpg

送電線2.jpg

運転手さんは、もっと近づけないかと、民家の近くで地元の人に聞いてみたが、軍の監視が厳しく、近づくだけでも危険なようすなので、引き返すことにした。

尋ねる.jpg

帰り道も田舎ののどかさがあるが、田舎道でありながら太陽光の街路灯が整備され、鴨緑江沿いの鉄条網が厳しい雰囲気をかもし出している。

帰り道.jpg

最後に、ホテルに戻る時、渋滞を避けて迂回したが、その時の道路からみた河原の風景。

BBQ.jpg

多くの車が停まって、遊んでいる。まるで河原でBBQのよう。

中国の急速な車の普及は、北朝鮮との国境の町でも、影響しており、レジャーの形態も変化。車と河原の風景は、思いもよらなかった。




posted by kazuohage at 16:37| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: